システマ第1日目

close up shot of a woman doing yoga システマ日記
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自宅からほど近い、といっても通勤電車で数駅のところにある町の文化会館がシステマの練習場所であった。

繁華街から少し離れた静かな場所にそれはあった。

定刻よりかなり早く着いてしまったので、その文化会館のロビーをうろうろしていた。

水墨画、中国語、パン作りなどのカルチャー教室から、子供たちと一緒に遊ぶボランティア的なものまで、数多くの催しが開かれていた。

仲には居合術の稽古まである。

職場の中にほとんど閉じ込められて二十年以上働いてきた私は、このような文化的な試みが市民の中から自発的に発生しここまで豊かに結実しているということに新鮮な感動を覚えずにはいられなかった。私が今日体験するシステマ教室もその試みの一つなのだ。

そうして待っていると、二十代から四十代と思われる短パン姿の逞しい男たちがぼつぼつと玄関から入ってきた。その中の背の高い男が、システマ教室が行われる部屋の鍵を開け、他の者とともに入っていった。

私もその後に続き、部屋に入っていった。

代表者と思われる中肉中背のがっしりした男性に声をかけた。

「本日予約しています。よろしくお願いします。」

男はいかにも武術家然とした愛想のなさと、かといって何ら悪意や詮索のないニュートラルな目で私を見た。

「はい。では書類の記入をお願いします。」

渡された書類を見ると、型どおりの住所、氏名、連絡先の他、緊急連絡先の欄まである。

成程、武術の道場だけに万が一練習生が命に関わる大けがをした時のために、近親者の連絡先が必要なのだな。

しかし書いてある文面を読むと、少し違うらしい。

練習生が大けがをする状況よりも、礼儀知らずのならず者が乱暴な振る舞いによって他の練習生を傷つけることを危惧しているようだ。そのような乱暴者が現れた時に引き取ってもらうために、近親者の連絡先が必要というわけか。

昭和の武道漫画では、道場破りに対して道場主が「命を落としても文句を言いません」という誓約書を書かせる場面がある。日本の法律では私闘は禁じられているのでこのような誓約書が有効なのかははなはだ疑問であるが、その延長で、武術道場への入門希望者は「命を落としても文句は言いません」という誓約書を書かされるのかと一瞬緊張した。しかしそうではなく、現代では「他の人に怪我をさせません」という誓約書を書かせるのだ。時代は変わったものだ、などとひとり感慨にふけっていたが、単に私が昭和のスポコン漫画(いわゆるスポーツ根性漫画)の読みすぎなのかもしれないと心の内で苦笑した。

練習生は二十人ほどいた。年齢は二十代から五十代くらいまでで女性は二名。講師格の人は三人の男性であった。

中には怪しげな入れ墨をした若者もいたし、拳が異様に発達した男もいた。

少し怖かったが、このまがまがしさこそが武術だ。

初めに、立った状態で呼吸を繰り返すワークが始まった。鼻から吸い口から吐く。体内を息が循環するイメージを、初めは口と鼻で、次いで喉、頭、胸と徐々に範囲を広げていき、腹、股関節、膝、足先まで到達したら今度は逆の手順で範囲を狭めていき、最後に口と鼻で呼吸を循環させて終わる。

次は歩きながら呼吸を行う。システマの根本にあるのは呼吸であり、すべての動作に呼吸が先行すること、そして呼吸を途切れさせないことが何よりも重要であるようだ。

一歩で吐き一歩で吸う。これをしばらく繰り返したのち、次は二歩で吐き二歩で吸う。徐々に呼吸を長くしていき最後は十歩で吸い十歩で吐く。今度は徐々に呼吸を短くしていき最後には一歩で吸い一歩で吐く。

今度はやはり呼吸を途切れさせずに歩くのだが、そこに様々な動きを加える。後ろ歩きをしたり、しゃがんだり、寝転んだりという動きをしながら、決して呼吸を途切れさせない。

もちろんはじめは上手くできない。イレギュラーな動きを混ぜるとどうしても呼吸が止まってしまう。

そして次がなかなか辛かった。二人組になって、ひとりが長座の姿勢を取り壁に背中をつける。もうひとりが相手の太ももの上に立つのである。初めは指導者格の人とやらせていただいた。このワークの意味は、痛みにとらわれないことと、痛みのために意識が太ももに凝集してしまうがそれを自然な呼吸で洗い流すというものらしい。システマでは特にlight breathingという軽い呼吸を重視するのだが、呼吸に熟練すれば痛みを感じなくなるらしい。

初めに私が先生の太ももに立ったのだが、なるほど先生はまったく平然としている。

攻守交替で私が長座の姿勢を取り、先生が私の太ももの上に乗る。体格はほぼ同じくらいだ。

うっ!

激痛が太ももに走る。

「太ももに凝集した意識を洗い流すイメージで、リラックスしてlight breathingを繰り返してください。」

という先生の指示に従い呼吸を繰り返していると、確かに段々楽になってくる。

ああ、そういえば以前見たシステマのユーチューブ動画で、呼吸によって痛みがなくなるという実演があったな、と思い出しながら呼吸を繰り返す。

今度は壁に膝をつけ、膝立ちになり、ふくらはぎの上に相手が乗る。

呼吸の要領はある程度つかめたと思う。そのせいか、今度はむしろ気持ちよかった。

次の練習は、自ら四肢や体をねじり、これを呼吸によって自然な立位に戻すというものである。筋肉の力で意図的に戻すのではなく、吸気が体内に充満して自然にねじれが戻るイメージで行う。

これをしばらく行った後で、今度は二人ペアになる。ひとりが相手の腕をとり軽く関節を極める。極められた方は相手に対抗して逃げるのではなくて、light breathingを繰り返す中で自然に相手から逃れる。

ちなみにこの時の相手は、先述した入れ墨の青年である。入れ墨はしていたが瞳の澄んだ青年である。予想通りの好青年であり、「痛くないですか」などと言い年長者を気遣ってくれる。

「逃げようとか頑張ろうという意識を捨てて、ただ呼吸を繰り返してださい。そうすれば自然に体が動きます。」

という先生の指導が入るが、ううむ。初心者の私にはなかなか難しい。何回かに一度は上手くできたような気がする。そのときは決まって先生が

「そうそう、そんな感じ」とほめてくれる。

逆に、意図的に腕力で逃げると

「それは形だけです」

と突っ込まれる。

先生によると、私の動きとか呼吸には深刻な雰囲気があるという。

「そうではなくて、軽く呼吸してください。」

先生のその指導はまことに的を得たものであった。

というのも、私の性格としてついつい物事を深刻に考えてしまったり、あるいは細部にこだわりすぎて全体が見えにくくなったりする傾向が大いにあるからである。

出会ってたった1時間くらいしかたっていないのに、そしてほんの少し動きを見ただけなのに、先生は私の性格を見抜いてしまったようだ。

「頑張るのでもなく、だらんと何もしないのでもない。呼吸が本来あるべき動きを教えてくれます。」

と先生は教えてくれた。

こういう話を聴くと、中には「そんなものはオカルトだ」と言って毛嫌いする向きもあるかもしれない。しかし私は何の反感も抱かない。私の限られた見聞を総合してみると、筋力ではない何かが武術の根幹をなしていると思えるし、それを体現する人は過去にも現在にも実在すると判断できる。そしてその「筋力ではない何か」が何なのかは私にはわからないが、達人たちは大抵「呼吸力」などと表現する。

頑張りもしないし怠けもしないという態度は人間の理想像だと私は考えているが、その教えの代表は仏教でいうところの中庸の思想である。

システマとの出会いは私の人生にとって非常に大きな意味を持つに違いない。

帰り道、私は考えていた。

細部に集中しすぎたり、深刻になりすぎたりして、大切なものを見落としていしまうことが私の人生においては多かったように思う。自分に対しても他人に対しても、妙にこだわりが強くて優しくなれなかったことが多かったと思う。

小さい考えに固執して、自分や他人を締め上げてきたように思う。

それを自覚しているからこそ自分の心を解き放ちたいと願うのだが、私がとる行動は決まって理想とは真逆で、自分を追い込む方向に向かってしまう。

このような自分のままでは人生が苦しくなってしまう。

もっと自由に自分の心を解き放ちたい。これこそ私が人生でなすべき仕事だと思う。

そしてそれはシステマによって実現できそうだ。

習い覚えた呼吸を繰り返しながら歩いていると、右足底の痛みに捉われていた自分にふと気づいた。

捉われるのではなく、むしろ痛みを受け入れよう。そして呼吸で洗い流そう。

そう思って歩いていると、足ではなく骨盤を軟らかく使って歩いていた。

末端ではなく中枢に動きの中心を据えることによって、むしろ脚と足の可動域が広がる。そうすると右足底に無理がかからずよりスムーズに歩ける。先生の言う通り、呼吸が私にあるべき動きを教えてくれたのか?

今まで足底筋膜炎の解消のために足の解剖やインソールにこだわってきたが、骨盤の動きがより根本的だったのか?

そしてもっと根本にあるのは解剖学などの精緻な学問ではなく、呼吸なのか?

急いで答えをだすことはあるまい。

システマとの出会い。このご縁を大切にしようと思う。

そもそもシステマのとある紹介記事には「システマは自然な人間本来の動き、呼吸、心身のリラックス・平静さを重視する」とはっきり記載されている。

仕事に対しても趣味に対しても、どこか100%の熱意を持てなかった私だが、システマの修行すなわち「自己の開放」に対しては、自分のライフワークとして本気で取り組みたいと心から思えた。

歩き慣れた夜の町が、なぜかいつもとは違って見えた。

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