人間本来の走り方?

足と靴と地下足袋の科学

『BORN TO RUN』が投げかけた問い

最近話題となった『BORN TO RUN 走るために生まれた/Christopher McDougall』は私も愛読したし好きな本だが、この中にはたびたび「人間本来の走り」という言葉が出てくる。

しかし、そもそも「人間本来の走り方」とか「人間本来の歩き方」とかいうものは存在するのだろうか?

原始時代と現代

私が初めて足底腱膜炎を患ったのは40歳くらいの頃だった。

病院でステロイドの局注をしてもらったが改善はなかった。

その後数か月して自然に治癒した。

その時は左の足底が患部だったが、今は右足底が痛い。

もう3か月くらい痛いままだ。

何が言いたいかというと、元気いっぱいだった30代までは、肉体のケアということを何一つ気にしなくても体の不調など感じなかったということである。

もし私が原始時代に生まれていたら、私は30代で死んでいる可能性が高いが、足のトラブルに悩みもせずに天寿を全うできたはずである。

「人間本来の走り・歩きとは何ぞや」という疑問を持たずに死んで行けたのである。

「人間本来の歩き方・走り方とは何か」という問題設定は、人類の寿命が延びた現代特有のものなのかもしれない。

私は原始時代を賛美しているわけではない。

人生に与えられた時間が増えたのであれば、さらに人生を楽しみたい私はと思う。

求めるのは機能性

「人間本来の歩き方・走り方」と言った場合、それは原始時代の人類の動作を指すのか、あるいは解剖学的に最適な動作を指すのか、どちらなのかという疑問もある。

原始時代の人間は最適な動作をしていたというのは幻想であると私は考えている。

例えば、拳で殴るという動作について考えよう。

相手に最大のダメージを与えることを理想とするならば、殴る動作の理想形は空手ないしボクシングになる。

では原始人が空手やボクシングを自然に習得していたかというと、そうとは考えにくい。

原始人はおそらく手打ちで力いっぱいに殴りつけるという素人の動作をしていたと思われる。

「人間本来のパンチ」は、原始人の素人パンチなのか、全身の力を効率的に使う近代ボクシングのパンチなのか?

この答えは文脈によって異なるだろう。

私たちが「人間本来の歩き・走り」と言った場合、その意味するところは「解剖学的にもっとも効率の良い歩き方・走り方」になると考える。

つまり、もっとも機能的な身体操作法を私たちは求めている。

私たちは何も、原始人の真似をしたいわけではない。

私たちはできるだけ肉体にダメージを与えることなく、速く歩きたい・走りたいと考えている。

理想の歩き方・走り方を追求するのであれば、人体解剖学を避けて通ることはできない。

フォアフットかミッドフットか

現代のランニング理論について私は詳しくないが、着地に関しては踵着地は否定されているようである(参照)。

その理由はわかりやすい。

人間の足には三つのアーチ(横アーチ、内側縦アーチ、外側縦アーチ)があり、これらが板バネのように働いて着地の際の衝撃を吸収してくれる(参照)のだが、踵着地だとアーチの機能を使えなくなるからである。

前足着地(forefoot landing)と中足着地(midfoot lading)のどちらが良いのかについて結論は出ていないようだが(というより向き不向きの問題とされているよう)、速く走るためにはフォアフット着地が有効のようである(参照)。

前足着地といっても、つま先立ちで走るわけではなく、踵よりもほんの僅かだけ早く前足部(正確には中足骨遠位端付近)から着地するのである。

実は私も地下足袋ランニングを始めた当初、前足着地をつま先走りと勘違いして走ってしまい、ふくらはぎの筋肉痛が1週間続いた。

それに懲りて以来ミッドフット着地で調子よく走り続けていたが、ミッドフットとはいえ踵を地面に打ちつけてしまうので、走行距離が延びると右の踵を痛めてしまった。

ミッドフット着地の際、衝撃吸収に使われるのは足裏の3つのアーチ、膝のみと思われるが、フォアフット着地の場合はこれに加えて足関節も衝撃吸収に貢献する。

フォアフット着地であればミッドフット着地よりもさらに膝や股関節を痛めにくくなると考えられる。

大切なのは考え続けること

そういうわけで私は現在フォアフット着地を練習している。

ただしこの記事で言いたいのは「フォアフット着地が人類の理想の走り方である」ということではない。

最適なフォームを求めて、常に考え勉強し実践し修正し続けることが大切である、ということである。

先ほど空手やボクシングを引き合いに出したが、武術家の修練には終わりがない。

私は武術家でもアスリートでもない一般市民にすぎないが、自分の肉体には責任を持ちたいと考えている。

なるべく痛みや制約のない状態で人生を楽しみたいから、肉体のメンテナンスは抜かりなく行いたい。

もちろんメンテナンス自体をも楽しんで行いたい。

結論。

身体操作の追求にも終わりはない。

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